← 前 第二条

第三条

善人なをもつて往生(わうじやう)をとぐ、いはんや悪人をや。

しかるを、世のひとつねにいはく、「悪人なを往生(わうじやう)す、いかにいはんや善人をや」。この条、一旦、そのいはれあるににたれども、本願(ほんぐわん)他力の意趣にそむけり。

そのゆへは、自力作善(じりきさぜん)のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願(ほんぐわん)にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生(わうじやう)をとぐるなり。

煩悩具足(ぼんなうぐそく)のわれらは、いづれの行にても、生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて、願(ぐわん)をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生(わうじやう)の正因(しょういん)なり。

よつて、善人だにこそ往生(わうじやう)すれ、まして悪人は、とおほせさふらひき。

次 → 第四条

語釈

善人・悪人(ぜんにん・あくにん)
ここでの「善人」は自力で善を積める人、「悪人」は自力では救われないと自覚する人。道徳的な善悪ではなく、自力への執着の有無を指す。
なを(なお)
なお、~でさえ。強調の副詞。
いはんや(いわんや)
まして、言うまでもなく。況んや。
しかるを(しかるを)
ところが、しかし。逆接の接続詞。
いはく(いわく)
言うには、曰く。
一旦(いったん)
一見、ひとまず。表面上は。
いはれ(いわれ)
道理、理由、言われ(謂れ)。
にたれども(にたれども)
似ているけれども。
意趣(いしゅ)
趣旨、意図、真意。
そむけり(そむけり)
背いている、反している。
自力作善(じりきさぜん)
自分の力で善い行いを積んで悟りを得ようとすること。他力に対する語。
ひとへに(ひとえに)
ひたすらに、もっぱら。
他力(たりき)
阿弥陀仏の本願の力。自分の修行の力(自力)ではなく、仏の力によって救われること。
たのむ(たのむ)
頼りにする、信じて任せる。他力を信じること。
こころかけたる(こころかけたる)
心が欠けている、足りない。不十分な状態。
ひるがへして(ひるがえして)
翻して、改めて、方向を変えて。
真実報土(しんじつほうど)
阿弥陀仏の真実の浄土。本願を信じる者が生まれる世界。
煩悩具足(ぼんのうぐそく)
煩悩を完全に備えていること。人間は皆、煩悩から逃れられない存在であるという自覚。
いづれの行にても(いずれのぎょうにても)
どのような修行によっても。
生死(しょうじ)
迷いの世界での生まれ変わり死に変わりの繰り返し(輪廻)。現代語の「生死(せいし)」とは異なる仏教用語。
はなるる(はなるる)
離れる、脱する。迷いの世界から抜け出すこと。
あはれみたまひて(あわれみたまいて)
哀れんでくださって、慈悲をかけてくださって。
願をおこす(がんをおこす)
誓願を立てる。阿弥陀仏が本願を発起されたこと。
本意(ほんい)
本来の意図、真意、目的。
悪人成仏(あくにんじょうぶつ)
悪人が仏になること。自力で救われない者こそが本願の対象であるという教え。
もつとも(もっとも)
最も、とりわけ。
正因(しょういん)
往生を得るための正しい因。ここでは他力を信じる心が往生の正因であることを示す。
だにこそ(だにこそ)
~でさえ。意外性や強調を表す。